我が家の愛猫のぬんちゃんが去年の12月10日に、ぎんちゃんが今年の7月6日に相次いで亡くなりました。
人なつっこいぎんちゃんは、よく当院の受付に顔を出しており,その後ろに恐がりのぬんちゃんがオドオドしながら付きまとっておりました。来院された飼い主様もよく見かけられたと思います。私はかってに当院の看板ネコと思っておりました。
ぬんちゃんは、徳島に帰ってきて開業した1999年に、国府の中古車屋さんで夜中に友人と車を物色中に出会いました。月夜のきれいな晩でした。
ドコかで子猫の声がするぞと思いきや中古車の下に、小さな二つの目玉がこちらを見ておりました。
今から思えば、恐がりのあの子がよく人に近づいてきたなぁと思います。小さな体で勇気をだしてボクをみつけて!!と叫んでいたに違いありません。病院に連れ帰り,翌日まじまじとその子猫をよく見ると両目が離れぎみのぶちゃいくな顔でした。なんでこんなヘンな顔の猫を拾ったのかとも思いますが,月夜の魔力と考えています。この時点ですでにタラちゃん(すでに亡くなってます)とぎんちゃんが先住猫としておりましたが折り合いも悪くなく,仲良くやっておりました。
特に大病もせずにおりましたが、去年の秋頃から徐々に痩せてきました。血液検査を行うと、かなり肝臓の数値も悪く,黄疸も出ておりました。なんでもっと速くとも思いますが大変怖がりの猫だったので爪切りでも大騒ぎでしたし、ノミのスポットオンを首にたらすだけで2〜3日は警戒して寄りつかなくなる猫でした。
もっと定期的に検査ををしてやればと後悔もしますが、精密検査などは麻酔下でないと無理な子でした。特に外科的に治療して完治するものでもなさそうだったし、静脈からの点滴もストレスの方が上回ると判断し、皮下点滴+肝保護剤で治療するもダメでした。肝リピドーシスや癌を疑っていましたが死後解剖もせず、タラちゃんの眠るお墓のよこに埋めてやりました。 享年14歳
ぎんちゃんは私が神奈川県の茅ヶ崎で勤務医をしていた1997年に出会いました。
その日の午後は院長が不在で、動物病院の外で何やらヒソヒソと子供達の声が聞こえました。なんだろうと思い玄関を開けると誰もいません。おやっ。ふと足下をみると子猫がこっちを見てシャーッといっちょまえに威嚇をしておりました。やられたっ!!捨て猫だ。これは院長に怒られると思い、帰宅した院長には「ボ、ボクが飼います」と言ってしまいました。
この時私は一人暮らしで先住猫のタラちゃんとアパートに住んでおりました。タラちゃんは女の子でよくぎんちゃんの面倒をみてくれました。
タラちゃんとぎんちゃんは一人暮らしの私をどれだけ癒してくれたかと思います。
その後、タラちゃんとぎんちゃんを徳島に連れて帰り,1999年に徳島で開業しました。
ぎんちゃんは5歳くらいから少しずつ腎臓が悪くなり,10歳で一度死にかけその後ずっと3日に一度の皮下補液を欠かさずなんとか6月末まで元気そうにしておりました。しかし、7月になって急に嘔吐がひどくなり血液検査を行ったところ、BUNとリンの数値はふりきっており,クレアチニンも23.1mg/dlと高値を示しておりました。
ついにその時が来たことが分かりました。
腹膜透析も考えましたが、慢性腎不全ですので苦痛をともなってまでおこなっても可能性はかなり低いので行いまでんでした。数日間のみ、静脈に点滴をつないで利尿剤を1回のみ投与しましたが時間とともに状態が悪化しました。意識レベルの低下とともに痙攣が認められだした時点で私はぎんちゃんを楽にしてあげました。安楽死を自分の動物に行ったのは初めてです。安楽死に反対の考えの方も多いですが今回の自分のとった行動は今でも間違いではなかったと思います。遺体はぬんちゃんの横に埋葬しお墓をつくりました。享年16歳でした。
開業当初はテナントを借りて診療をしていましたが、その二階(屋根裏部屋)で猫達は住んでいました。入院の子がいると本当にネコたちとケージの前に布団を敷いて一緒に看病をしてきました。大事な家族であり戦友でした。
飼い主さんに最近あのネコみないねとよく聞かれます。
ブログにも悲しすぎて、載せることができませんでした。
最近になってようやく心の整理も出来てきました。
ぬんちゃんもぎんちゃんも私に拾われて本当に幸せだったのかなぁ?と思います。
拾ってあげたのではなく、私がたくさんのものをいただきました。
ありがとう。ぬんちゃん、ぎんちゃん。タラちゃんに会えたかな?